産総研シンポ「古地震・古津波から想定する南海トラフの巨大地震」

2019/04/29

独断と偏見に基づいた、単なる感想文である。
と同時に、地球科学者のアウトリーチ活動の参考ともなろう辛口コメントの色合いも出してみた。また、報道する側・報道を聞く側にも警告を与える意味も含めた。

今回のシンポジウム。
まず、聴講対象が誰かわかりにくいのがもっともマズイ。
タイトルからして興味のある一般人はごまんといたであろうが、会場の面々は、防災関連企業の人か研究者がほとんどであった。
だいたいの演者が非専門家を想定しての平易な言葉遣いの会でもあったことから、恐らく一般向けのシンポジウムだったのだろう。にしては、それらしき人物がほぼ見当たらなかった。

今回のプログラムはこのページを参考にしていただくとして、お題に移る。
なお、コラム中の人物の写真は肖像権の問題があり、本人かどうか微妙に分からない程度まで解像度を下げていることをお許しいただきたい。

最初のお題は、2013年夏に公開される南海地震の長期評価について。評価手法はこれまでに沿ったものではなく、南海トラフをひとまとまりとみなし、起こりうる最大の地震を想定している。歴史地震への評価も見直した上での新たな評価となった。最も大きな違いは、これまでは確率として発表してきたものを、今回は「切迫性」を表現するようになったことであろう。防災対策の参考となる評価を公表すべきだとの研究者の共通認識からの発案だそうだ。
yoshidaその視点は良いにしても、演者の吉田氏が述べていたように、評価には不確定性が多数含まれる。これをどう世間に伝えていくか。そうでないと「もうすぐ起きる南海トラフで地震はM9.0となり、大津波が襲って20万人以上が死ぬ」と、可能性がごくわずかな情報がさも明日にでも起こりそうな当たり前の話として一人歩きしかねない。
危機感を持っていただくのは大いに結構。しかし、勝手に解釈されて、それでM9にならぬ地震でも起きようものなら「地震学者は嘘つきだ」という小学生レベルの論争が世間やマスコミに湧くのは想像に難くない。これを回避する本当の教育を、国全体で推し進めていく必要があろう。

2つ目のお題は、東海地域に残される地形・地質学的な南海トラフ地震の特徴について。
fujiwara古津波(津波堆積物)調査の手順を理解しやすい発表であった。古いものでは、もっとも海水面が高い時代を基準に、通常の波浪の影響を受けない地域を特定する。地質学的には最近である江戸時代の津波堆積物を調べるには、当時沼や池であった、津波が襲ったならば流されてきたものを溜めやすい場所を調査対象と決める。調査費を圧縮するために、河川工事等で掘削が行われている地域があれば、ついでに調査させてもらう。より深いところをみるにはボーリング調査が必要だ。それをできる限り密に行い、柱状図(ボーリングした地層を柱状のイラストにしたもの)を海岸からの距離順で並べると、津波浸水域が見えてくるようになる。大変地道かつサンプリング地の見当を付けても外れることが多そうな研究ではあるが、こういうことをライフワークにできる研究者が増えることを期待したい。

3つ目のお題は、巷でイケメン研究者とささやかれる宍倉氏の発表だ。
先ほどは東海地域についてだったが、ここでは南海地域の履歴について。
shishikuraこちらの古津波調査に用いるのは、岩礁に成長するヤッコカンザシという生物と津波岩だ。これらとボーリング調査結果を合わせると、南海地域では、400-600年間隔で大きい津波があった可能性があるそうだ。一方、東海地域ではあまりその間隔がはっきりしない。
ここで一番強調したいのは、過去6000年間で、今の政府が想定した最大津波の痕跡は見つからなかった、ということであろう。ないことが証明できたわけではない。今のところ、見つかっていないのだ。津波堆積物調査の第一人者である宍倉氏の調査でもってしてもそうであることから、彼は「本当に超巨大地震津波があったかどうかを疑いながらも調査を進める必要がある」と述べていた。
市や政府が発表するような最大想定は確かに重要だが、過去に本当に起こったかどうかは、このように調査を進め、あったかなかったかをはっきり知る必要はあろう。それを知ることが未来を切り開くことだから。

4つ目のお題は、地震考古学という学問を確立した寒川氏による地震考古学、主に過去の液状化の痕跡に関する研究内容だ。
sangawa液状化は、よほど大きな地震動でないと発生しない。事実、日頃感じる震度4や3で近所のどこかが液状化した、という経験をもつ人はいないだろう。
調査する遺跡と同時代の古文書があれば当時の地震の記述を探し、遺跡のなかに液状化の痕跡をみつけられれば、相当程度の精度で地震発生年を特定できる。
ただしこのやり方の問題は、人が生活していない時代のことはわからない、人が生活していても文書を残している時代でないと詳細を特定できないということだ。しかし、歴史時代でも科学技術で1桁までの年代を特定するのは難しく、ましてや月日などもってのほか。そう考えると地震考古学は、これを十二分に補完する学問である。
筆まめな日本人であるからこそ、歴史時代の地震はせめて完璧な把握を目指したいものだ。いでよ、地震考古学後継者。

ポスターセッションを挟み5つ目のお題は、純粋な歴史学者による古文書から如何にして事実を抽出するかの話だ。このようなシンポジウムで完全文系の人が講演するのは大変珍しい。ただし演者は歴史学者の中でも数少ない歴史災害の研究をしている、地震や津波に馴染みの深い人物だ。
yada歴史学では、1年の違いも許されないらしい。1年違うとこれまでの歴史が書き換えられてしまうこともあり得るからだそうだ。
田方海成荒地(たかたうみなりあれち)という古代の言葉が印象的であった。これは、1707年宝永地震で静岡県が沈降したせいで浜名湖は海とつながり、周辺の田畑も同時に水面へ沈み、そのせいで耕作できなくなった土地のことだそうだ。昔の日本人は筆まめかつ文才優れ表現豊かな人種だったのだろう。
大阪の古文書はガセネタが多いというのも笑えた。上方気質はその昔から存在していたということか。災害の歴史を紐解くには、このようなガセネタと正しい記述を確実に区別し、記録を残した時期にも注意を払いながら(災害翌日の記録より、1週間後の記録の方が正確らしい)、正確な被害数を特定していく。
正直このように文系の研究者の話をまともに聞いたのは初めてであった。いや、そもそも聞いても仕方のないものだと思っていた。筆者の伝聞と偏見で、文系では大家が「右」といったら左のものも右になると考えていたからだ。ところが矢田氏がその考えを大きく変えてくれた。人生を賭して古文書の研究に没頭する人の感性(経験、知識)は、付け焼き刃的に読む人間とはたいそう違うはず。少しでも「違う」と思ったら原本に戻り、周辺まで含めて調査し直すそのやり方は、ナミナミならぬ根気の持ち主でないとできない。

6つ目のお題は「南海トラフ3連動地震 M9はあり得るか?」という、最近の長期評価に疑問を投げかける内容である。seno結論から言ってしまうが、演者の瀬野氏はM9が起こる可能性は低いと結論づけた。テクトニクスが専門の演者はバリバリの理論派であるせいか、一般人にはやや難解な用語が散見(連発ともいう)された講演だったが、ある研究が一人歩きしないように別の議論を吹っかけるのは非常に重要である。また、過去の地震の類似性を独自の視点で論ずることで、南海トラフで起きてきた地震を再分類した。ただし、質問ではその分類は慎重にならざるを得ないとの意見も出たことを付記しておく。

7つ目である最後の講演は、演者の中でも最若手である安藤氏である。
andyこちらもバリバリの理論派で、地震とはどのような物理過程で起こるものかを研究している。ただ、さすが若さも手伝ってか、イラストをふんだんに使い見てる分にはカラフルで楽しい講演であった。しかし聞いてる分には、一般人には耳慣れない言葉が多かったことは否めない。
ただ、やっていることは素晴らしく、古地震に内在する最大の問題を克服しようとしているのだ。古地震における最大の問題とは、客観的観測データが存在しないことだ。だから、その地震は正確にはどこで起きたのか、どの程度の大きさの断層が動いたのか、などを正確に知る手立てがない。
そんな中、氏は今の地球物理学的データと古地震記録は、相互補完的な関係にあることに気づき、古地震に物理学を応用したのだ。
「まだ研究途中で結論ではないし、結果は変わるかも知れないが」と厳重な注意をした上での氏の〆の言葉は「869年の貞観地震は、2011年東北地方太平洋沖地震と類似している可能性がある」であった。
この氏の思いきった発言にはエールを送りたい。しかしこの言葉に対して、一般人やマスコミが解釈を加えてはならない。なぜなら、結論ではないからだ。貞観地震はM8.4といわれていたが、もし類似しているとなるとMは8.9とか9.0と見積もられる可能性もある。過去を正確に知るのは未来を見通すためだとは何度も述べているが、氏が目指すのはそこであり、センセーショナルな話題を提供するためではない。

シンポジウムは一研究者の研究成果発表の場合もある。とくに報道はその点にも気をつけて、言葉の背景を知らない一般人を惑わすようなことだけは、今後二度としないで欲しい。