東京東部の高台化? 海だったんだから諦めも必要 仁先生は西部にいた

2019/04/29

東京東部に高台は愚の骨頂
さる新聞社のネット版に、都知事選で候補者に期待することは何かが書かれた記事があった。

そのなかで、とても気になる都民の言葉があった。
要約すると
「海抜ゼロメートルの下町に都民の3割が住んでいる。都知事には高台の整備を真っ先に求めたい。」

これには「今でしょ」じゃなくて「無理でしょ」といいたい。
というか、お叱りを受けるのを覚悟で地球科学的立場からいうと、東京低地に住むのは自己責任(含:先祖責任)、と筆者は思う。

都民の3割は、水面より下に住んでいる!?
東京の地形に詳しくない人に、東京に子供のころから住んでいる人の常識をお教えする。

小学校では必ず「ゼロメートル地帯」という言葉を習う。
ゼロメートル地帯とは、平均海面を0mとし、標高がそれ以下の土地のことをいう。
それ以下、つまり標高がマイナスの地帯も含む。
東京東部(23区東部)は全体的にゼロメートル地帯なのである。

東京に出張や観光で来たときには、これに絡む恐ろしい光景が広がっているので、ぜひガン見していただきたい。

たとえば、いわゆる下町と呼ばれるところを歩いていると、とくに河川の近くでは電信柱にさらりと「ここは-3m」という標記ある。
電信柱を仰ぐと上方に赤い線が引かれ「水位」などと書かれている。
つまり、「堤防が決壊したら、ここは赤い線まで水没するのよ」と恐ろしくも親切に教えてくれているのだ。

この電信柱を見つけたあなたは、河川の近くにいるに違いない。
そしたら、必ずその河川の堤防を尾根まで上がろう。
尾根の伸びる方向に向くと、片側には河川、反対側には街が見える。
この、河川の水面と街の地面の高さを比べてみて欲しい。
確かに、水面のほうが高いのがわかる。
東京のそういう地域に住んでいる人々は、水面より低い所に住んでいるのだ。
(高層マンションは? のつっこみはどうかなさらず)

東京には広大な自然の高台がある
東京低地がいかに低地かの記述はこのくらいにして、東京の東京低地以外の場所は、武蔵野台地と呼ばれている。
つまり、23区中西部~市部の全域である。
つまり、東京にわざわざ高台など作らなくても、武蔵野台地が自然のままの高台なのだ。

東京低地と武蔵野台地の境界は、JR京浜東北線のラインがほぼそのままといっていい。
京浜東北線は、東京低地と武蔵野台地の境界の、東京低地側を走っている。

(荒川下流域=東京低地)
(国土地理院HPから引用。クリックでこの図のあるページに飛びます)

さて、武蔵野台地がどれくらい台地で、東京低地がどれくらい低地かを体感しよう。

東京メトロでもJRでも、まず御茶ノ水駅に行こう。
御茶ノ水駅には、東京医科歯科大、日大医学部、帝京大医学部、数々の有名病院と、知る人ぞ知る医学密集地帯である。
もし病院にかかるために御茶ノ水に来たのなら、医者から「安静にしてください」と言われなかった人だけが次のことをしてほしい。

御茶ノ水から1駅、秋葉原まで歩く。
その際、目で総武線線路の行方を追いつつ歩を進めること。
御茶ノ水駅を出てを東に進むと、すぐに急な下り坂になる。
その坂を下りきると平地が広がり、その先の秋葉原を超えても平地が続く。

この急坂がまさに武蔵野台地と東京低地の境目なのだ。
どのくらいの高低差かというと、御茶ノ水駅ではJR総武線が地下1Fにあるのに、1駅しか違わない秋葉原では総武線は地上3Fに位置することで体感できる。
実際、御茶ノ水駅付近で海抜14m、秋葉原駅付近で4mであり、標高差は実に10m。
ここに建物が建つ前は、秋葉原から御茶ノ水方向を望むと高さ10mの崖(または急傾斜地)がそびえ立っているのが見えただろう。

3.11で、あらゆる神社が津波を免れた事実は、記憶に新しい。
このことから、御茶ノ水と秋葉原の間にある神田明神が、その境目の高い側にあるのは、納得できる。
歴史は知っているのだ、何が危険かを。

仁先生も武蔵野台地にいた
さてここで、気づく人はお気づきと思う。
なぜ、突如として「医学」という言葉を出したか。

ドラマ『仁』では、仁先生は悩むと自分がタイプスリップした崖の上にくる。
筆者の記憶が確かであれば、仁先生が望んだ景色には、延々と下町が広がっていた。
そう、つまりこの崖が、先に述べたのとまったく同じ崖なのである。
仁先生は御茶ノ水の武蔵野台地に立って東を向き、東京低地を見下ろしていたのである。

あのドラマで現代の設定は恐らく医科歯科大であろう。
仁先生は大学から川に真っ逆さまに落ちる設定になっていたと思うが、あの高低差はこの崖ではないことには注意が必要である。
あの川は神田川だ。
神田川は、武蔵野台地と東京低地の境界と直行しているので、違う崖であることはここからも分かる。

仁先生はラッキーなことに、咲さんに拾われた。
そしてちゃっかり咲さんのお宅にお世話になっていた。
咲さんの家は旗本である。
江戸時代、徳川幕府の政策で城や大名・武家屋敷は高台、つまり武蔵野台地に作られた。
だから、咲さんのお宅もきっと武蔵野台地にあったに違いない。
東京低地を望む仁

江戸時代、地盤の良いところに武士が、悪いところに町民が住んでいた
それより下の土地、標高が低い土地に幕府は町民を住まわせた。
徳川時代に埋め立てが進んで江東区や江戸川区はかなりの部分が埋め立て地であることは、都民のほぼ誰もが知っている。
しかし、それよりもっと前の気候が今よりはるかに温暖な時代、6000年ほど前の縄文時代には、現在の東京東部はもちろん、奥は埼玉の大宮くらいまで海が入り込んでいたのをご存じだろうか(これを縄文海進という)。
地球の年齢が46億歳であるので、地球科学的に「6000年前」は「わずか6000年前」である。
そのわずか6000年前、東京東部は海の底だった。
つまり、強固な地盤であるわけがない。
むしろゆるゆるである。

温暖化が徐々に収まるに従い海は退いていき、東京東部が地上に顔を出し始めた。
海辺付近には三角州ができる。
海が後退するに従い、三角州はどんどん広がる。
この広がった三角州が、埋め立て前の江戸時代の下町なのである。

この背景を知れば「なるほど、当時は武士がいい土地(地盤がしっかりしている)に住んで、それ以外の者は悪い土地(地盤が軟弱なうえに水害が多発する)に住まわされたのだな」というのがよく理解できる。

今から住むなら、東京西部
先祖代々東京低地に住んでいる人が簡単に引っ越すのは、心理的に難しいのはよくわかる。
しかし東京は、関東大震災や空襲で焼け野原となり、ある意味いくらでももといた土地を捨てる機会はあったはずである。
また、今の東京では3代住めば引っ越しを余儀なくされる税制、相続税が足かせとなって土地を捨てざるを得ない状況は、そこかしこで耳にする(とうの筆者もその一人である)。

都税使ってもともと低く悪質な土地にムリヤリ高台を作っても、どうせ地震時には崩れる。
だったら、今から武蔵野台地に引っ越すことを考えた方が、子孫にとってもはるかに前向きではなかろうか。

と、わかりやすい極論を書いた時点で、東京低地に住む300万人の都民から怒号が浴びせられるのはよくわかっているので、ここで2つのフォローをする。

産業の犠牲者・城東住民
東京低地は実は、本来以上の低地にさせられている。
これは地盤沈下が原因で、その悪の根源は産業である。

明治以降、東京都に工場が乱立したときに、工場用水として地下水がくみ上げられた。
また、幸か不幸か東京のこの部分には南関東ガス田といって、天然ガスが地下水に溶けている地層がある。
工業用水と同時にガスの採取のためにも地下水がくみ上げられ、その結果、広大な範囲で地盤沈下が起きてしまったのだ。

これは、都(や国)の政策のせいだといってよい。
この点からすれば、住民はむしろ被害者といえる。

本当に優れた制度に陽を当てよ
もう1つのフォローは、そもそも都民の2.5~3割もの人が住む土地から全員引っ越せなんて所詮無理な話であることは、重々承知している。
だからこそ、都がなんらかの施策を実施する必要はあると筆者も思っている、ということである。

筆者が言いたいのは、明らかに無駄になる都税の使い方を主張するなら己が引っ越せ、ということあり、東京低地に住む全住民にいっているのではない。
都の政策で東京低地に人を住まわせ続けるのなら、何十年も前からペンディングになっている水害対策はさっさと進めるべきである(ペンディングになっている治水事業について書くと長くなりすぎるので、ここでは省略する)。
治水事業だけでなく、大規模災害として地震を想定するのであれば、耐震化はもちろん、液状化対策(土地の改良)にも力を入れるべきである。

また、どんなにハードをいじっても壊れるときは壊れる、というある種の諦めも必要であると考える。
なぜなら、諦めた時点で「では何をすればいい」と、別の視点が持てるからだ。

ここで筆者は、東大の目黒先生の提唱する「新しい公助制度、共助制度、自助制度」の導入を主張する。
この制度の詳細はコチラの内閣府のページを見ていただくとして、これらの制度は、工学博士の目黒先生が工学だけではなく、経済効果も公共政策の視点も取り入れた、優れものの制度である。

だいたい役所は縦割りなので総合的な視点がもてず横のつながりで物事を見られないが、いい加減「危険、危険」といって部分的で欠陥だらけのなんの解決も見ない施策のための予算取りをするのではなく、根本的な解決を(しかも方法はあるのだから)前向きに検討して欲しいものだ(おっと、毒吐きが加速しそうなので以下自粛)。

そうはいっても、やっぱり教育
さて、ハードの施策と並行して進めるべきもっとも大事なのは、やはり教育であろう。
いや、並行じゃ遅い。先行すべきだ。
教育(防災教育、地球科学教育)は1日してならずだが、だからこそ始めるなら「今でしょ」であり、延ばす理由はない。
(筆者のコチラの投稿参照)

都民が本当に都民のためになる首長を選ぶ際、果たして何をもって判断するか。
自分が不得手な分野は、知識とそれに基づく思考力がなくしてなんの判断ができよう。
知識が偏り、思考力が欠落して、どうして全体最適を考えられよう。
知識だけではNGなのは当たり前だが、知識は土台である。
土台のない判断は、崩壊する運命にある。

残念ながら、今回の都知事選で教育を全面に謳った候補者は実に少ない。
教育に言及している候補者でも、教育の質について言及している人は皆無ではないか。

ここ何年も知名度だけで選ばれてきた感のある東京都知事。
防災も大きい争点の1つとなっているが、この記事が防災・自然に詳しくない人が、知名度に踊らされず冷静に判断するための一助となるとよい。