気象庁よ、「地象庁」への改名はいかがだろうか

気象業務法という法律があるのをご存じだろうか。気象庁の仕事を規定する基準であり、また、気象がらみの商売をやるにあたり守る必要がある規則である。

さて、気象業務法では、自然現象のおのおのをこう定義している。
・気象:大気(電離層を除く)の諸現象
・地象:地震および火山現象並びに気象に密接に関連する地面および地中の諸現象をいう
・水象:気象又は地震に密接に関連する陸水及び海洋の諸現象をいう
また、総称にはなっていないが、地球電気(←地球科学出身の筆者もこの語は聞いたことない)と地球磁気についても述べられているあたり、これも気象庁の業務範囲である。

すなわち、気象庁は地・水・気のすべてを扱う官庁であるのだ。だがその名称は地・水・気の総称ではなく「気象」で代表されてしまっている。

地震ヲタである筆者は「地震で特徴づけられる日本がなぜ地象庁と命名しなかったのか。けしからん」と即座に思うわけである。きっと何かやんごとなき理由により、誰かに「気象庁」と名付けられてしまったに違いない。そう思い、気象庁の歴史を調べてみた。

調べるというにはおこがましいほどあっという間に、グーグルさんは答えをくれた。
気象庁が提供する「気象庁の歴史」ページを、ズバリ教えてくれた。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/intro/gyomu/index2.html

これによると、鎖国を解いた直後の明治初期、なんと外国人の提案によって気象台の設置が決定されたのだ。
ほら見ろ、日本人なら地震のほうが重要だ(筆者の主観です)。日本人の発案だったら、絶対に地震がメインになるに決まってる(あくまで、筆者の主観です)。

読み進めると、もっとひどい。観測機器は、その外国人が自分の祖国から調達してるぢゃないか。なるほど、こうやって日本のお金はどんどん海外に吸い取られていったのだな。この外国人は日本の地震の多さに気が付くと、なんとちゃっかり地震計をイタリアから輸入までしやがって、まるで商社気取りである。

ん? まてよ? 気象観測とほぼ同時期に、地震観測の重要性にも気づいてるじゃないか、この外国人は。じゃあなぜ気象庁という名になったんだ?

この当時は気象庁という名称ではなく、工部省測量司であった。明治7年に内務省に移管されてからは地理寮量地課という名称である。いっぱい「地」が入って大変好ましい名称である。ところがどっこい、最初にできた観測を行う施設の名称が残念ながら「東京気象台」であったのだ! 地震観測も日常業務としてやっていたにもかかわらず。

ここからは筆者の推測である。
お役所システムにも詳しい筆者はこう考えた。今も昔も、国の予算をぶんどるには常時必要な事業であることを主張しなければならない。確たる根拠とともに。「気象庁の歴史」ページによると、地震は「発生したらただちに」観測に行ったそうだが、気象観測は「1日3回」。そう、つまり気象は「時々刻々と変わるものなので毎日必ず必要なもの」との主張はできたが地震は「いつ起こるかわからないが、起きたら観測が必要なもの」としか主張ができなかったのだ。こうなるとその名称に、根拠として気象ほどは強く推せない地象を冠するわけにはいかない、悔しいが、地震の観測を続けるためには気象台と命名するしかない、そう考えたに違いない。

地震火山に畏敬の念を抱きつつも地面を愛する当時の日本人はさぞかし悔しかったであろう。歯がゆい思いをし、下唇をかみつつ、泣く泣くその名称を飲んだと推測される。

九割九部理解されない妄想はこのくらいにして、文化薫る江戸の時代を終えたとはいえ、世界に目を転ずれば相変わらずの戦乱の世。外国人が日本で気象観測の重要性を唱えたのも、far East・ジパングの気象を把握することで、東アジアを外国船舶が無難に航行できるようにすることが主目的であったのであろう。

明治大正昭和を経て今はもはや平和ぼけ成る平成の時代。憲法第9条にのっとり戦争を放棄した国。であるならば、外国人都合で始まった気象観測から命名された「気象庁」は一度放棄し、われらが国土ならではの地震・火山に目を向けた「地象庁」に改めてみてはいかがだろうか? そして、まさに今の日本において地象観測がどれほど大事なものなのか、その本来的な根拠を今一度国民に知らしめるのも、「地象庁」の大事な役目な気がする。

赤子も舌っ足らずなあなたも発音しやすい地象庁^^

固体地球雑学

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